「漁光曲」とシューベルト

 一昨日の放送博物館のSP鑑賞会では、山口淑子の最初のレコードとしてテイチクからだした古賀メロディー「さらば上海」が紹介されていたが、彼女が、李香蘭の名前で歌手デビューしたのは、それよりもずっと早いことは「私の半生」の読者ならば知っているだろう。奉天放送局で歌った中国語の歌の録音が入手できないのは残念である。上戸彩李香蘭を演じたテレビ放送では「漁光曲」が歌われていたので、その哀切なメロディーは視聴者の記憶に残っているのではないだろうか。
山口淑子奉天の放送局で歌った歌の中で最も好きであったと回想している「漁光曲」は同名の映画(1934)の主題歌である。1935年のモスクワ国際映画祭で栄誉賞を受賞した作品。社会主義リアリズムに基づく映画であるが、西洋音楽の受容・摂取という面からも重要な作品である。ちょうど無声映画からトーキーに移行する時期の作品であるが、この映画では基本的には無声映画のスタイルを貫き、BGMとして西欧のクラシック音楽が使われている。そして映画のラストでは、主題歌「漁光曲」が歌われている。「アヴェ・マリア」のような西欧音楽が、貧しい漁民の労苦を主題とする映画のBGMに使われていたという事実に僕はある感動を覚えた。イデオロギー的に公式化して言えば、これらの音楽は西欧の貴族階級ないしブルジョア階級に好まれた音楽ということになるだろうが、この映画の制作者はそんな見方をしていない。音楽そのものはそういう階級差を越えた普遍性がある。そして主題歌「漁光曲」にはたしかにシューベルトモーツアルトの曲を聴くときに僕らが感ずる清澄な「悲しみ」が湛えられている。この映画によって、西洋音楽の叙情が中国の大地と出会い一つの傑作に結晶した−そんな印象を受ける。

映画「漁光曲」(1934)より(ラスト近いところでテーマ曲が登場人物によって歌われている)

漁光曲  作詞:安娥  作曲:任光

雲児飄在海空 魚児蔵在水中 早晨太陽裡 晒魚網迎面 吹過来大海風 
潮水昇 浪花湧 漁船児漂々 各西東 軽撒網 緊拉縄 煙霧裡辛苦 等魚跡

は現在でも歌い継がれている。(2006年に制作の中国百年音楽史話)