私の家は山の向こうにあるー歌詞と日本語訳

          我的家在山的那一邊  作曲:周藍萍  詩:王琛 歌唱:訒麗君(テレサ・テン

我的家在山的那一邊   私の家は山の向こうにある     那兒有茂密的森林    そこには豊に茂った森があり
那兒有無邊的草原    そこには果てしなき草原がある   春天播種稲麥的種子   春には稲や麦の種子を撒き 
秋天收割等待著新年   秋には刈り取り新年を待つ     張大叔從不發愁     張おじさんは愁いがなく
李大嬸永遠樂觀  李おばさんはいつも楽観的     自從窰洞裡鑽出來貍鼠  窰洞(ヤオトン)から狸鼠が出てきてからは
一切都改變了      一切がすっかり変わってしまった  它嚼食了深埋的枯骨   そいつは深く埋もれていた白骨を食らった
侵毒了人性的良善    人性の良善を侵毒した       
我的家在山的那一邊   私の家は山の向こうにある     張大叔失去了歡樂    張おじさんは喜びを失ってしまった 
李大嬸收藏了笑顔 李おばさんは笑顔をしまい込んだ  鳥兒飛出温暖的窩巣   鳥は暖かな巣を飛び立ち
春天變成寒冷的冬天   春は寒冷の冬へと変わった     親友們失去了自由    親しい友らは自由を失った
抛棄了美麗的家園    美麗なる団らんを捨て去った    朋友 不要因一時歡樂  友よ 一時の歓楽を貪るなかれ
朋友 不要貪一時苟安  友よ 一時の安逸を貪るなかれ   要盡快的回去       出来るだけ早く帰って 
把民主的火把點燃    民主の火を燃やそうよ       不要忘了我們生長的地方  我らの育ったところを忘れてはいけない
是在山的那一邊     それは山の向こうにある      山的那一邊        山の向こうに  
Youtube に民主主義の灯火を消さぬために香港に集まった学生たちの集会の模様がアップされていた。この画像で「民主萬歳」と書かれた白鉢巻きを締め、学生たちと同じジーパン姿で歌っている女性がテレサ・テンである。日本の歌謡番組で歌っていた頃の彼女とは全く異なる姿がそこにあった。

 

素晴らしい歌唱だった。 元曲の「松花江上」をミュージカル「李香蘭」で聴いたときはそれほどでもなかったが、 訒麗君のライブを聴いたときは、身震いするほどの感動があった。 「松花江上」とは歌詞が大きく変わっている。 ここでの祖国は、もはや東北地方(旧満州)ではない。 訒麗君にとって、あるいは香港や台湾に住む中国人にとっての「山の向こうにある」祖国である。元歌の歌詞には、「九・一八(柳條湖事件)」という具體的な歴史的事件を
直示する言葉があったが、そのような言葉はここにはない。 「貍鼠」という言葉で、祖国の「民」を抑圧する政府が暗示されているだけである。
しかし、それだけにこの歌のほうが、聴くものの心にしみる。たとえ聴くものが日本人であっても、祖国を気遣う憂国の情、祖国の「民」の自由を願う心に撃たれないものはないであろう。