「私の鶯」−ハルビンの歌姫

「私の鶯」という歌曲をCDで聴いたとき、てっきりロシアの曲を翻訳したものと思っていたが、日本語の歌詞(サトウハチロー)と曲(服部良一)が先であって、同名の映画ではそのロシア語訳が歌われたということを知って唖然とした経験がある。よけいな背景知識など抜きにして、掛け値なしに良い曲だと思う。山口淑子はもともと満州に亡命してきたユダヤ系のロシア人のオペラ歌手に声楽を習ったわけだから、その声楽の基礎はロシア歌曲である。だから、映画「私の鶯」では彼女は基本的にはロシア語を話し、ロシア語で歌を歌う日本娘の役を見事に演じている。
 映画「私の鶯」は、おそらく日本で制作された最初の本格的なミュージカル映画であるといって良い。ハルピンという国際都市にして初めて可能となった映画であるが、このような映画を戦時中に撮影したということ自体が奇跡的である。当然、日本では上映されなかった幻の映画であったが、戦後しばらくしてから発見され、現在ではビデオ化もされ、公立の図書館の視聴覚資料として保管しているところも多い。李香蘭のコロラツーラ・ソプラノのカデンツァの清澄な歌声が聴きどころである。