「私の中国、私のチベット」−その境界に立つ勇気

李香蘭とその時代」というこのブログの目的の一つは、国家のエゴイズムを越えて、一人一人の人間の自由を勝ち取るためにはどうすればよいかを考えることである。決して過去を向いているわけではなく、過去をふまえた上で現在と将来のことを常に念頭に置いている。すでに、天安門事件の時の香港での訒麗君(テレサ・テン)の民主擁護の歌について言及し、また、チベットにおける人権侵害にも言及した。愛国心という集団的な熱狂が、その背面にいかに個人の人権を抑圧する機構を秘めているか、それを我々日本人は、過去の歴史から学んでいる。

置き所を間違えた愛国心に内在する危険性に目をつぶってはなるまい。「一人一人の人間の権利」の根柢には「信教の自由」がなければならない。現在の中国にはそういうものがないし、かつての深い精神的な文明を忘却して、強大な軍事大国・経済大国を目指しているのである。
ヘラルド・トリビューンに、米国でチベットの自由を訴える学生と中国人留学生との対話を進めようとして、売国奴呼ばわりされた中国人の学生、王千源さんの記事が出ていた。彼女はデューク大学に学んでいたが、4月9日に起きたチベット人権擁護のデモと、これに対抗する中国人学生の反対デモの衝突に巻き込まれた。中国人であるにもかかわらず、チベット問題で中国を支持しなかった王さんは中国で「漢奸=反逆者」として指弾された。彼女に対する人身攻撃は執拗を極めている。何物かが彼女の個人情報を探り出し、インターネット上には彼女の写真はもちろん、実家の住所、両親の名前、本人と両親の身分証番号、出身高校まで晒された。両親が暮らす山東省青島市の実家の壁には悪口が書かれ、汚物がまかれたという報道もあった。両親は彼女も知らない場所に身を隠しており、電子メールで連絡を取り合っている状態だという。彼女は「私は<好ましからざる人物>だから中国に帰れないだろう」と話したと云う。
 彼女はワシントンポストにも手記を寄せているが、そのなかで、
「わたしの中国、わたしのチベット、反逆者という名でどちらの側にも立てずに」と、彼女の苦しい立場を物語っている。昨年8月、デューク大に来た王さんは、クリスマス休暇の時に偶然にチベットからの留学生と3週間を共に過ごし、新しい世界に目覚めたという。彼女は「他の中国人と同様に唯物論者だったが、人生には異なる面、すなわち精神的な面があるということも知った」と話した。彼女は「チベット独立には反対だが、チベットの自由を支持する。中国人が享受する自由をチベット人も享受すべきだ」との立場を明確にした。彼女は、豈不知の 「鷸蚌相爭,漁翁得利」 という中国の故事、また曹植の七歩詩「同じ根から生えた豆なのに、何故お互いを煮ることを急ぐのか」を引用し同じ国の民族を弾圧することに疑問を呈している。また孫子の 「窮寇莫追」、「損剛益柔」 という言葉や、老子の 「上善若水」 という言葉を引用している。米国で中国の良き伝統をふり返りつつ勉学にいそしんでいる彼女の姿が偲ばれる。
 それにしても、王千源さんはなんと勇気のある学生だろうか。彼女は、周辺の中国人留学生が凡て置き所を誤った愛国心の情熱の虜になっているときに、「対話」を呼びかけた。「わたしの中国、わたしのチベット、反逆者という名でどちらの側にも立てずに」という彼女の言葉が、彼女の状況を象徴している。
その立場は、対立する両勢力から挟撃されるかもしれない危険な立場であるが、どこまでもその境界にたって、対話のために努力する彼女を心より声援したい。