イムジン河とうとうと流る−国境とイデオロギーを越えた普遍性とは何か

作詞:朴世永、作曲:高宗漢、日本語詞:松山 猛
唄:ザ・フォーク・クルセダーズ

「帰ってきたヨッパライ」と双璧を為すフーク・クルセダーズの歌といえばこの反戦イムジン河だろう。発表してまもなく、この曲はレコード会社や放送局の自主規制によって記憶の底に沈んでしまったかに見えたが、フォークル再結成の記念版、「戦争と平和」のなかで復活した。復活版では、きちんと原作者の名前が明記されているのが良かった。作詞者、作曲者の国籍が朝鮮民主主義人民共和国であったことなどが、自主規制の理由だったようだが、こういう場合、原作者の固有名を明記し、日本語版はそれをもとにアレンジしたものであることを断った上で、日本語版の歌として公表するのが原作者に対する礼儀であろう。それと同時に、歌は国境を越えて広がっていく時には、もとの歌が作られた歴史的背景を越えて、ある種の変容を伴わなければ、普遍性を獲得できないということもここで指摘しておきたい。コスモポリタンとしての私からすれば、原詩の二番

河越えて葦の茂みでは鳥たちが悲しく鳴き 乾いた野原では草の根を掘るけど 共同農場の稲、波の上で踊るよ リムジン江の流れを遮ることは出来ない(朝鮮語からの直訳)
悲しく水鳥は南の岸で鳴き 荒れた野良にはむなしく風が立つ 幸せ花咲く祖国の北の歌 リムジンの流れよ伝えておくれ (李錦玉訳詞)

にはどうしても政治的なプロパガンダを感じないわけにはいかない。私の記憶では、「主体思想」と「千里馬」の旗幟をかかげる北朝鮮を理想化する人は結構多かった。そして、日本の若者が、過去の日本人の責任を一切感じずに、朝鮮半島の民族分断の悲劇を歌う「無責任」さを叱る声もあったと記憶している。要するに、バエズやビートルズもどきの反戦歌を日本人が朝鮮の人民になりかわって歌うことは許し難いというのであった。
しかし、現在、この原詩の歌詞の二番を読む時、私は、ある複雑な感慨に襲われる。「北朝鮮の共同農場には豊かな作物が実っているから、そのことを南の郷里に伝えておくれ」という趣旨の原歌詞には、どうしても歴史のアイロニーを感ぜざるを得ないのである。社会主義の共同農場は、朝鮮に限らず、ソ連コルホーズにせよ、中国の人民公社にせよ悲惨な失敗に終わったことを我々は知っているからである。現在の北朝鮮の食糧危機こそまさに農業政策の失敗によるものだったのだから。
フォークルの「イムジン河」は、たしかに、過酷な政治的対立を前に沈黙せざるを得なかったノンポリ反戦歌であった。しかし、もとのイムジン河の歌詞が歴史の審判に耐えぬイデオロギーの表明に過ぎなかったのに対して、日本語版の歌詞2番とフォークル再結成時に付加された3番

北の大地から南の島へ 飛び行く鳥よ、自由の使者よ 誰が祖国をふたつに分けてしまったの 誰が祖国を分けてしまったの
イムジン河 春の日に岸辺に花香り 雪解け水終えて北と南結ぶ ふるさとの歌声よ、渡る風となれ イムジン河とうとうと青き海に帰る

は、国境とイデオロギーを越えた普遍性を持っていたのではないか。