「誰も書かなかったアラブ」−砂漠に沈む夕陽に向かって


誰も書かなかったアラブ―“ゲリラの民”の詩と真実 (1974年) (サンケイドラマブックス)はもはや「李香蘭」の書いた書物ではない。これを書いているのはジャーナリストとして新たな生を開始した「山口淑子」である。このあと、参議院議員環境庁政務次官や外務委員会委員長としての「大鷹淑子」の政治的活動が続くが、僕がもっとも惹かれたのは、このジャーナリストとして活動していた頃の山口淑子、とくにパレスチナ難民を取材していた頃の彼女である。彼女はなぜパレスチナ問題に関心をもったのか。なぜ、テロリズムの横行する危険な場所にわざわざ出かけて取材活動をしたのか。

「戦争−その言葉が、最初、私の足をアラブに向けさせた。戦争ーそれはわたしの実体験からくる痛い関心である。それは私の心の傷を、砂漠に沈む夕陽にさらけだし、もう「戦場」から逃げ出さずに済むように、自分を変えることが出来るかもしれないという、わたし自身のチャレンジがあったからだ。」

山口淑子は書く。日中戦争によって傷ついた心の傷をいやすのではなく、砂漠の夕陽にさらけ出すために、という箇所に注意したい。砂漠の地平線に沈む夕陽に彼女は中国大陸での戦争の記憶、「黄河」撮影時の彼女自身の体験を重ねている。