江文也と新民会ー音楽家にとって「国家」とは何か

 李香蘭長谷川一夫が共演した大陸三部作の最後は「熱砂の誓ひ」であるが、そこでは李香蘭は日本に音楽の勉強に来ている北京の要人の令嬢役で登場する。北京出身の親日派中国人で声楽家という設定は、演じた当時の李香蘭を彷彿させるものであった。北京時代の李香蘭の義父であった潘氏は、早稲田大学卒の親日派で、のちに「冀察政務委員会」の政務処長や、天津市長を勤めた人物であった。1937年に北京が日本の支配下に入ると、この委員会と「冀東防共自治政府」とを統合する形で、王克敏を首班とする中華民国臨時政府ができたが、この臨時政府の支配地域のもとで、人民の「内面指導」を担当したのが「新民会」とよばれる組織であった。そして、この新民会こそが、李香蘭や江文也のように音楽を通じて日中の架け橋たらんとした「親日派」中国人と深い関わりを持っていたのである。
 新民会の基本的なイデオロギー儒教の「和」の精神にもとづく仁政であった。明徳による仁政をおこなうことで、伝統的な価値を破壊する中国共産党に対抗するという考えがそこにあった。「熱砂の誓ひ」の杉山兄弟(大義に殉じた土木技師の兄の遺志を継ぐ弟を演じたのが長谷川一夫)は、そういう仁政の実践者として描かれている。杉山兄弟の人徳に共鳴した李香蘭演じる令嬢が、中国の民衆に向かって、兄弟の理想を弁護しつつ「共産匪」の非道を訴えるシーンには、そういう政治的な背景があったのである。
 新民会の役割は満州国の協和会と似ていたが、この新民会会歌の作曲を依頼されたのが江文也であり、それが機縁となって江文也は当時北京師範大学の音楽系主任であり、新民会の要職にあった柯政和から、北京師範大学の作曲・声楽の教授となることを要請されたのである。
 江文也は戦時中の日本映画の音楽も手がけたし、1942年にはバレエ音楽「香妃伝」を作曲し、これは北京で上演された。もし、状況が許したとしたならば、上海で、「萬世流芳」のあとに李香蘭が出演する予定であった「香妃」の映画音楽を担当する可能性もあったろう。
 音楽家にとって「国家」とは何を意味するのか? これは李香蘭や江文也のことを考えるとき、どうしても問題にしないではいられない問である。江文也の「上代支那正楽考」の冒頭は
    「楽」は恒に国家とともにあった。・・・・
であり、その結びもまた
    音楽は恒に国家とともにあったのだ。それはいつでも一国の歌であり、人民の声である。
 そして江文也にとって、その国家とは、台湾生まれの彼が国籍を有していた「日本」ではなく「中国」であった。この本の本来の題は「上代中国正楽考」であり、「支那」とは、日本での出版のための妥協の産物であったようだ。もともと著者は一貫して「中国」と書いていたことを明記すべきであろう。ただし、その「中国」は当時は何處に存在していたのだろうか。共産党の中国も、国民党の中国も、日本占領下の中国も、どれも江文也の心に適う国家であったとは思えない。あえていえば、それは悠久の歴史をもつ中華文明の復活への願いが生み出した「中国」に他ならないのである。