江文也の「上代支那正樂考」

 平凡社東洋文庫に、江文也の「上代支那正樂考−孔子の音楽論」が復刻された(2008年5月16日刊行)。三省堂から刊行された初版(1942年)のほうはすでに古書で読んだことがあるが、復刻版には、彼の詩文「北京銘」が付録として収録されているのが好い。古典時代の中国の高度に洗練された文化と音楽の伝統を再発見した著者の肉声を聴く思いがする。僕の中では、音楽を媒介として、李香蘭と江文也は一つに繋がっている。彼らは、同じ東亜の伝統の中で生まれた国際人であり、多様多彩な諸文化の交差する場所で創造的な仕事をしつつ、自己のアイデンティティをもとめて弛むことなく努力を続けていた人であった。
 江文也は、戦前戦中にかけては、大東亜共栄圏の理念に奉仕する歌手としてまた作曲家として活躍し、「爆弾三勇士の歌」などで有名になったが、北京師範大学音楽科の教授として招聘されたときに「楽律全書」(1578−1606刊行)という、古典時代の中国の音楽書にふれた。この出逢いは大きな意味があった。彼は、もとより専門の學者ではないが、その研究の成果である「上代支那正樂考」は、西洋音楽を日本で学んだ江文也と儒教の伝統的な教養の中核を為す音楽論の出逢いを記念する興味ある著作となった。
 江文也は対日協力者というレッテルを貼られ、戦後も、そして文化大革命のときも非常な迫害を受け、その音楽作品の楽譜も失われたものが多い。しかし、近年になって、彼の業績が再評価されるようになったのは慶賀すべき事である。
幸い、Youtube に彼のピアノ曲杜甫賛歌」がアップされていた。冒頭、司会者が杜甫の詩「春望」を現代中国語で朗唱している。「國破山河在 城春草木深」ではじまる杜甫絶唱。それを聴きながら、時代に翻弄され、国家の存亡を目の当たりにしつつも、音楽藝術の分野で創造的な仕事を残した江文也自身の波瀾に満ちた経歴に思いを馳せざるをえなかった。