The China Lover を読んで

The China Lover

The China Lover

Ian Buruma の China Lover は、李香蘭こと山口淑子のモデル小説である。これまで出版されたり、テレビドラマやミュージカルなどで取り上げられた「李香蘭」と違っているのは、戦前の李香蘭だけではなくて、戦後の山口淑子の活動を描き、パレスチナに取材旅行した後で、国会議員になるところまで描いている点だろう。つまり、大日本帝国の崩壊をはさみ、価値観の急変を余儀なくされた日本の戦争経験を、三人のストーリー・テラーを登場させて語らせるという手法を取っている。戦前編の語り手のモデルは山家亨だろうか、戦後期の日本の山口淑子を語るモデルは進駐軍の日本映画の検閲官、高度成長期の彼女を語るモデルは、新左翼運動のシンパでパレスチナ取材をするジャーナリストという設定である。これは小説の技法としては巧みなものだ。
 ただし、その話の内容は、「私の半生」などの資料に出ていることを大して越えてはいない。史実そのものが、小説家の想像力を越えたところがあるので、小説というよりセミ・ドキュメンタリーという感じがするし、どこに作者の創意があるのか、もうひとつ見えにくいところがあった。
 ひとつだけ興味をそそられたのは、「支那の夜」に日本版と中国版があったと書いている箇所だった。日本版では、もともと悲劇の設定で、主人公の長谷は、匪賊に襲われて落命し、桂蘭は、長谷から教えられた日本の詩を唱えて、身を投げて水死する設定であったものを、中国での上映を考慮して、日本人のヒーローと親日派に転向した中国娘が、橋の上で結ばれるというハッピーエンドに作り替えたというエピソード。 Buruma 氏がどこからこの情報を得たのか知らないし、私の知る限りでは、悲劇に終わる「日本版」なるものがあったとしても、それは日本でも上映されなかったはずである。当時の日本の映画評でも、結末が安易なハッピーエンドで失望したというものがあった。悲劇に終わらせたほうが、映画作品としてはずっと深みが出たであろうという趣旨の批評であった。
 「支那の夜」は、戦後に題名を変更してビデオ版が販売されたが、内容はかなりカットされている。元来、前編と後編という形で上映されたわけであるから、その当時の形態でアーカイブとして残して欲しいものである。