メランコリーとパラノイア

人の絆の病理と再生―臨床哲学の展開

人の絆の病理と再生―臨床哲学の展開

は洞察力に溢れた好著である。久しぶりに読書する喜びを味わったので、このブログで、各章ごとに紹介・解説したい。北山修氏の著作もそうであるが、私はこのごろ精神科医の著作に興味を持つようになった。そのなかでも臨床の現場において「哲学する精神科医」である加藤敏のこの著作は群を抜いていると思った。この本では、人間の基本的なありかたを、① 自己の確立に必須な、他者に対して構造的に優位に立つパラノイア性のありかたと、② 自己の核となるであろう<もの>の喪失を構造的に運命づけられるメランコリー性のありかたの二つがある、という認識を根柢に据えている。この二つのあり方から、人間の語りは、大局的に見るとパラノイア性語りと、メランコリー性語りからなると言う論点を著者は提示している。
→人間の基本的なパーソナリティ構造を以下の三類型において捉える
① 真善美にたいして「自然な自明性」をもち、虚偽に満ちた俗世間を生きることが苦手な「統合失調スペクトラム
② 俗世間にたいして「自然な自明性」をもち、他人との(感情的な)共鳴性と協調性が豊かな「躁鬱スペクトラム
③ エディプス・コンプレックスを基盤として他人に対してはっきりとした愛憎の感情を抱く「神経症スペクトラム

統合失調スペクトラムに属するパーソナリティをもつ天才が質の高い倫理的思想を提示する事例
思想の創造と引き替えにはらう代償:妄想性障碍(ルソー)、統合失調症アルトー)、摂食障害シモーヌ・ヴェイユ
→ 構造的に神経症を患う「正常」者の生きるべき倫理は、精神を病む人の生き方に一理あると言う認識に立ち、彼(彼女)らを師にして引き出されている面があることの指摘が興味深い。