1970年代のアマデウスー天地真理さん

 Youtube天地真理さんの1970年代の映像がアップされていることに気付き、思わず聞き惚れてしまった。彼女の笑顔にこんな形で再び出会えるとは想わなかったのであったが、同時に彼女の若い時の歌唱の質の高さをあらためて確認したのである。天地さんについてのファンクラブが、30年以上も経過して新たにWEBを通じて形成されつつあるということも頷けた。現に私自身も、どうやらそういうファンの仲間入りをしたらしく、彼女の70年代初期の歌をMP3に落として、その澄切った歌声、すこしハスキーだけれども張りのある聲を聴き、仕事の疲れを癒している。


 この天地さんがアイドル歌手の頃とは様変わりした「太ったオバサン」になってテレビに出て来たために、昔のファンのイメージを損なったといって悪く云う人も結構多いようだ。Youtubeにも、そういう天地さんを笑いものにした番組録画が投稿されている。「今の姿で出てきて欲しくなかった・・」などというコメントも投稿されていた。
 若い時の天地さんと最近の天地さんの映像をYoutubeで見た私自身の感想は、それとは全く異なる。天地さんは今でもとても魅力的な女性で、ある意味で少しも変わっていないと云う印象を受けた。これは、私が天地さんよりもずっと年長であるからかもしれないが、20歳の天地さんと還暦に近い天地さんと、体型が変わり、声が出なくなって歌が下手になっても、その天真爛漫な笑顔は本質的に変わっていないように見えたのである。
 若い頃の天地さんの映像を見ていると、自然と「アマデウス(神に愛された人)」という言葉が浮かんできた。これは、モーツアルトを主人公にした、シェッファーの戯曲のタイトルであったが、この世のものとも思えない清純で天来の音楽を聴かせてくれた神童モーツアルトが、直接あってみれば、ちっともそれらしく見えないこと、音楽から受けるイメージと実物とのギャップがあったことは多くのモーツアルト研究者が指摘している。「斉藤真理」さんも、ときどきはノーテンキな発言をして周りの人を驚かせた点では、アマデウスぶりを発揮していたのではないか。

 天地さんは、もしアイドルとして超過密なスケジュールに酷使されずに、じっくりと彼女の持ち歌のフォーク・ソングを自分のペースで唄っていたならば、ずっと長い間私たちに心の安らぎと癒やしを与え続ける素晴らしい歌手となっただろう、とはよく言われることだ。たしかに、彼女のフォークソングは素晴らしいし、「告悔」とか「母」とか、ヒットソングでないナンバーのなかに、しみじみとした味わいの深い歌があるのも事実だと思う。
 しかし、それと同時に、私は、「天地真理」が、ほんの束の間の明星の輝きをもって、消え去ったことに神に愛された、アマデウスの宿命のようなものも感じてしまうのだ。瞬間に永遠を映したものは、桜の花のように、まさに亡びることによってのみ、その姿を私たちのうちに刻印するのだ。