幻の地平線ーアラビヤのロレンスと甘粕

Youtubeで「幻の地平線」というドキュメンタリー番組を見ることが出来た。石原完爾、甘粕正彦李香蘭川島芳子にスポットを当てたものであるが、とりわけ新しい情報はなく、すべて既知のものばかりであったが、甘粕正彦の自決の現場に居あわせた秘書の女性のインタビューなど、同時代の人の証言は興味深かった。
李香蘭に関する部分は1942年の満州国建国10周年に撮影された「迎春花」のなかで、テーマ曲を中国語で歌うシーンが流されていた。この映画は、およそ戦争とは無縁な淡い恋物語であったが、ドキュメンタリーは彼女が映画の中で最も輝く場面、つまり中国語で「歌う李香蘭」を紹介していた。ゲストの高島忠夫が、戦後に自分が映画界に入ったときに、当時、日本の女優として活躍していた山口淑子に会って、子供の時に見た「白蘭の歌」や「熱砂の誓い」のころとすこしもかわらない若々しい姿に大変に驚いたといっていた。戦前を知る彼が、戦後の彼女のことを「李さん」と読んでいたのが印象的であった。
ところで、李香蘭満映をやめることを決意して甘粕にあったときに、甘粕が「アラビヤのロレンス」を読んでいたという逸話は、山口淑子の「私の半生」のなかにあったと記憶しているが、これは中野好夫の書いた「アラビヤのロレンス」(岩波新書1940年)であったのだろう。

甘粕はどんな思いで「アラビヤのロレンス」を読んでいたのであろうか。オスマントルコに支配されていたアラブの土豪をまとめて、英国の指導のもとに新しいアラブ人の国家を建設するという夢にロレンスは賭けていたわけだが、それは、大日本帝国の主導のもとに、満州族蒙古族そして白系ロシア人など五族を協和させて新しい国家を建設する夢を見ていた甘粕にとって他人事ではなかったであろう。二人は或意味で似たような理想を追っていたのである。第一次世界大戦戦勝国となった英国ではロレンスはアラビヤの英雄として祭り上げられたが、第二次大戦の敗戦国となった日本の甘粕は、偽満州国を画策したイカガワしい男、として記憶されることとなった。
性格的には、アラビヤのロレンスは、どこか神懸かり的な預言者気取りであった。ときには自分をモーゼになぞらえていたこともあった、その点では、日蓮宗の信者で、末法の世に出現した予言者ともいうべき石原完爾とにており、陰気くさくきまじめな甘粕とは対照的な英雄気質を持った人であった。甘粕は自分にない洞察力を持った英雄として、アラビヤのロレンスに惹かれていたのではなかろうか。
しかし、どんな英雄にも光と陰がある。今日、ヒットラーといえば、ユダヤ人虐殺の張本人として闇の部分だけが強調されるが、ナチスドイツがフランスを降伏させたときは、彼はドイツ人の間で喝采された英雄ではなかったか。中国の場合でも、毛沢東はどうか。中華人民共和国の建国の父としての毛沢東は光に包まれているが、晩年の彼の政策的な誤りによってどれほど多くの中国人が闇の中に消えていったことだろうか。
善悪二元論という子供じみた考え方に囚われてはなるまい。神ならぬ人間の世界に於いては、どれほど「悪玉」として後世非難されたものでも、そのなかに光の部分があるのであり、逆に言えば、どんな「善玉」として称揚された英雄の中にも、勝利者の立場から書かれた歴史の中では隠蔽された闇の部分があると考えた方が良いのである。

  

   [失はれし時を思へば白蘭の花も冷えけり奉天の城]