アラビヤのロレンス

 ケーブルテレビで「アラビヤのロレンス」の完全版を見た。ロードショウのときには残念ながら私は見られなかったのだが、当時、大評判であったことはよく記憶している。完全版は4時間あまりの大作。前半はロマン溢れる英雄譚。広大なアラブの大地、風紋の鮮やかな砂丘、満天の星辰を背景にして駱駝の背に乗って旅する主人公が見事に映像化されている。アラブの大地とその原住民を愛し、しかも英国を愛するローレンス、ヒューマニズムに溢れ、人種の違いを超える篤い情誼をもってアラブの友と付合う主人公が描かれる。アカバ攻略の成功によって、名声が高まり、軍人としての階級も昇進した後のロレンスを描く後半は、一転して、悲劇ないしは問題劇になる。砂漠の「英雄」の心にあった慚愧の念、戦争という残虐な行為がいかに主人公の内面をむしばんでいったか、アラブ人に対しても英国に対しても忠誠を尽くそうとした主人公が、その双方から切り捨てられていく状況がよく描出されている。そして主人公は、英国に帰還せざるをえなくなり、オートバイの突然の事故死というかたちでその生涯の幕を閉じてしまう。
 ロレンスは、映画が上映されるまでは日本ではごく一部の人にしか知られていなかったが、英国では大寺院に彫像が安置されるほどの有名人である。大英帝国のアラビヤ政策において軍功のあった文武両道の天才としての名声とともに、砂漠のロマンをかき立てるヒーローであったのだ。しかし、その背景には、大英帝国の植民地政策が、野蛮なアラブ人を文明化しようとするものという観点から正当化されていた時代精神がある。
「アラビヤのロレンス」には、欧米列強の植民地主義を模倣した戦前の日本で言えば、満州事変で軍功をたてながら満州国が成立するとすぐに日本に召還された石原完爾とよく似たところがある。石原は、日米戦争が歴史的必然であることを見抜いた予言者であったが、支那事変のような無謀な戦争には軍事的な観点から反対していたし、「油が欲しいからといって米国と戦争する愚かさ」を主張し、日米開戦は時期尚早として反対するだけの分別を持った軍人であった。私は、また、李香蘭こと山口淑子が、戦後になってから、ジャーナリストとしてアラブ世界に惹きつけられ、ルポルタージュを書いたことも思い出した。彼女は、アラブ世界を取材して、そこに満州と同じものを直観的に見抜いた。イギリス人が大英帝国の旗の下にアラブの砂漠に寄せた夢は、戦前の日本人が日章旗を掲げて植民地満州に寄せた夢、いわゆるマンチュリアン・ドリームと似たところがある。
 大英帝国とアラブとの関係を大日本帝国満州との関係になぞらえる歴史的類比の話は後回しにして、映画「アラビヤのロレンス」に戻ろう。
この映画の冒頭で、ファイサル王子を尋ねて砂漠を旅するローレンスがアラブ人のガイドに拳銃を与えるシーンがある。これはアラブ人のガイドを友人として信頼するという意志を表したのであろう。このエピソード以降、アラブ人と英国人ロレンスの間で人種を越えた友情が生まれていく。ところが、この友情が仇となって、拳銃を所持していたこのガイドは、ファイサル王子の腹心の部下アリに射殺されてしまう。アリはローレンスを客人として迎えようとするが、ロレンスは拒み、一人で王子のもとに赴く。このときのロレンスのセリフがよい。名前を名乗れといわれて、「私の名前は友人にしか言わない(My name is for my friends)」というのだが、ここでは殺されたガイドを自分の「友人」と思い、その友人を殺害したアリには名前さえ教えず、またそういう人間の世話にはならぬと宣言するのである。映画冒頭の極めて印象的なシーンの一つであった。
 もうひとつ、人種の差を超える友情を示すシーンは、砂漠の中の行進から脱落したアラブ人を「友人」とみてロレンスが救出に赴く場面。これはアラブ人のほうが、同胞一人のためにアカバ行きの危険な旅を遅滞させるわけにはいかないと主張したのとは対照的な行為であったが、結局、ロレンスはアラブの友の救出に成功し、この行為によって、アラブ人の心を掴み、仲間として受け入れられることとなる。ロレンスが英国軍人の衣服を脱ぎ捨て、アラブ人の衣装ををまとうようになるのはこの時からであった。脱落した仲間が砂漠で死ぬことは宿命だというアリに対して、「宿命などはない(Nothing is written)」というローレンスのセリフはここでも印象的であった。
 ロレンス率いる少数精鋭の部隊はアカバへと進軍し、トルコの支配下にあったその都市を陸路から襲撃し陥落させる事に成功するのだが、その直前に悲劇が起こる。それはロレンスの友情、その友への優しさが、軍の指揮官としての決断と相克するという悲劇、あるいはかつて砂漠でその命を救った友を、軍の規律を守るために射殺せねばならぬと言うドラマティック・アイロニーを映画ではシナリオ化している。ロマン情緒溢れる英雄譚が、以後、問題劇の様相を呈し始めるのである。
 ロレンスの任務の一つは鉄道爆破である。こういうゲリラ戦の中で、彼はゲリラ活動でミスを犯し、負傷した従者の少年を自らの手で射殺せざるを得なくなる。極めつけは、トルコ軍に捉えられたロレンスが、敵方の隊長から、「白人」としてのハラスメントを受けるという屈辱的な経験によって、復讐の鬼と化していく場面である。彼は敗走するトルコ軍を皆殺しにせよという命令を遂に出してしまう。映画の後半では、前半のような人種を越えた友愛などは消滅し、残るものは復讐心、残酷で露骨な憎悪と支配欲といったものにロレンス自身がむしばまれ苦悩する場面が次々に描かれる。 ロレンスの像が建ち、英国で如何に彼が英雄として顕彰されようとも、彼のうちなる闇を照らす光は遂に恵まれなかったのである。
  

  [預言者はもはや無用か英吉利もアラブも遠き故郷となりぬ]