江文也の「北京銘」を読む

 江文也の書いた「北京銘」その他の随筆を読む。彼の中国と北京に寄せる思いがひしひしと伝わる。あたかも、昔時、ゲーテやギボンがイタリアを旅して古代ローマの遺跡を目の当たりにした感激と似たものを感じる。ヨーロッパ人にとってローマは永遠の都であるが、それと同じことは北京と東亜の民についても言えるだろう。

とうとう私は北京に着いた。そこに見えるのが正陽門である。その昔、天下の大道がすべて此処から始まり、そして全てが此処に通じた。・・・・これが哈徳門、あれが紫禁城!・・そして私は今眠っているとはいへ、中華の民に中に呼吸しているのだ。・・・脅えるような喜びで、私は北京!北京!と、その名を七たびも十たびもとなへ、心臓を握りつぶすほどの興奮狂気とに馳せられた。私は恋人に会ったやうに、待ち遠しさで心は乱れ、魂は真紅にに燃え盛っていた。(北京正陽門)

これは1936年にはじめて北京を訪れた江文也の感激を吐露したものであるが、爾後、彼は孔子の音楽の再現繼承という大事業に乗り出すのである。北京にある精神文明の遺産を受け継ぎ、それを西欧音楽の教養と合体させて新しい音楽も道を切り開くこと。これは、日本でもかつて近衛秀麿が「越天楽」で試みたことであった。そこには真の意味で世界市民的な文化の創造があったと思う。
 私は2002年に仕事で北京に行ったが、かつて江文也が感動した古都北京の面影は近代化とともに、すっかり消え去っていた。東京やニューヨークと同じように、高速道路が完備し、超高層のビルが林立する近代都市に変貌していたのである。端的に言ってつまらない近代都市になりつつあるというのが率直な印象であった。北京五輪によってこの近代化はなお一層進展すると思うが、かつての高度成長期の日本と同じく、公害のような近代化の弊害もまた深刻なものとなるだろう。物質文明のことはさておき、中国に伝統的な精神文明の遺産の繼承の方はどうなるのであろうか。