白蘭の歌 再考 −植民地開拓の明暗−

 李香蘭長谷川一夫と共演した最初の映画「白蘭の歌」、先日、たまたま、京橋のフィルムセンターの長谷川一夫特集で上映していたので、久しぶりに見ることが出来た。ビデオ版は見たことがあるのだが、これは省略がひどくて、筋の展開がよくわからないというひどい代物であった。さすがに、フィルムセンター所蔵のものは、ビデオ版よりもカットされた箇所が少なくはなっているが、それでも「前編」と「後編」という二部形式で公開されたものを一つに切り貼りするという点で十分とは言えなかったし、幕切れも不自然なままであった。アーカイブとして残すならば、ノーカット版を保存・上映すべきであると思うが如何であろうか。
 この映画については前にこのブログでも書いたから内容については繰り返さないが、植民地としての満州の情景を描いた情景の中の一シーンについて補足したい。それは、父親の借金の返済のために満鉄を退職して、満州開拓民となった松村康吉(長谷川一夫)一家が、開拓村で日章旗を掲げ、遙か東の皇居に向かって早朝礼拝をするシーンであった。それをみていて僕は、どこかで見たことのある情景のような気がした。それも日本や満州ではなくて、全く別な場所と時代の或情景が歴史的類比として脳裏に浮かんだのである。
 僕はかつてアメリカのプリマスに行ったときに、このシーンに似た画像を見た記憶がある。メイフラワー号に乗船して「新大陸」に開拓民としてやってきたアメリカの「父祖」達、を待ち受けていたものは飢饉であり、入植者の半数は越冬できなかったという悲惨な状況であった。このプリマス入植については相反する二つの見方がある。ひとつはアメリカ建国の父祖という「神話」であり、神に選ばれたアメリカという新天地を開拓した先駆者という高い評価であるが、もうひとつは、白人による原住民の土地への侵略であり、白人の「新大陸」支配を正当化するものというマイナス面を強調する見方である。
 満州開拓民を組織していた日本の植民地主義の時代には、その光の部分が強調された。明治維新以来、北海道の開拓に始まり、樺太、台湾、満州、朝鮮と大日本帝国は領土を広げていったが、それは当時の日本人にとっては、大日本帝国の「生命線」を確保することであり、同時に日本という「文明」をアジアに宣教流布することでもあった。それは西欧列強が、西欧化という文明の恩恵を植民地に施したと自負した態度をそのまま受け継ぐものであった。そのお手本は、ヨーロッパの列強である。そして、西欧の植民地主義の精神的な支柱であり、名誉問題であり、正当化の根據となったものがキリスト教宣教であったが、日本の場合、それに対応するものが天皇を頂点とする神社神道であった。日本が進出した植民地に残されたおびただしい神社の遺構こそそれを物語るものであろう。
 現在のプリマスでは原住民の文化への配慮を優先するような展示が行われている。つまり、植民したアングロサクソンキリスト教徒の側の視点だけでなく、植民地化された原住民の文化への配慮が見られる。しかしながら、原住民と入植者達の間の関係には、正視に耐えぬような残酷な部分もあったことは事実である。そして、植民地へはアフリカ大陸から黒人奴隷が労働力として送り込まれた。
 満州国建国以後、際だった現象として華北に住む貧しき民が、クーリーとして満州に出稼ぎに出かけ、満州経営に必要な労働力を提供した。当時の新聞を見ると、満州国では不法入国を避けるために、パスポートの提示を求め、入国するものにたいして税を課したとある。一人あたりはわずかな額ではあるが、全体としては相当な金額となり、満州国の黒幕的存在であった甘粕の資金源となっていたらしい。これに対して、内地の日本人が満州や、華北、あるいは上海に渡るときは、パスポートの提示などは必要なかったのである。 そもそも国籍法とか、パスポートなどというものは近代国家が出来てから以後に必要とされるようになったものであり、「国民」の概念自体が、それ以前では曖昧であった。だから西欧に倣って近代国家の体裁を整えようとすると色々な点で無理が生じたろう。
かつて西欧諸国の植民地であった國では、本国に国籍を持つと同時に、独立した植民地にも国籍を持つということなど、事実上の二重国籍は普通であったろう。香港やオーストラリアなどでは政府が公式に二重国籍を認めている。
 中華民国では国籍について血統主義をとり、父親が中国人ならば、子供は、たとえ外国の国籍を持っていたとしても中国人と見なすという方針をとっていた。これは、国籍離脱の自由という個人の人権を無視した前近代的な政策であるが、そういう政策でも採らないと、海外で活躍する華僑達を「外国人」にしてしまうことになるし、中華民国国民の範囲をできるだけ広げたいという中華思想も根柢にあったろう。 李香蘭が処刑されなかったのに、川島芳子が「漢奸」として処刑された理由もそれが影響したらしい。