花白蘭の歌−戦時中の恋の歌

戦時中李香蘭の出演していた日本映画は、基本的には国策映画であったが、彼女が当時レコードに吹き込んで歌曲には恋の歌が多数含まれている。そのなかでも特筆すべきものは、楠木繁夫とデュエットで歌った「花白蘭の歌」であろう。これは、イタリヤのカンツォーネ Non ti scordar di me の翻案である。「私を忘れないで」というこの原題は、要するに「忘れな草」である。中国語でのちに李香蘭が唄った「忘憂草」と双璧を為す恋の歌。作詞の白井鐵造は、日劇のリサイタルで振り付けを担当し、李香蘭シャンソンや「乾杯の歌」を歌わせていた。戦時中故に、英米仏の歌は駄目であったろうが、枢軸国であったイタリアの歌は許されたのだろう。李香蘭カンツォーネを歌わせるというのは白井のアイデアであったかもしれない。編曲が古賀政男というのも驚いたが、まえにここでも紹介したように、古賀政男は、ショパンの幻想即興曲を翻案して「迎春歌」を作曲したくらいだから、イタリアのカンツォーネを日本化することにも興味を持ったのかもしれない。楠木繁夫もクラシック出身だけあって、朗々とした声を聴かせている。戦局が厳しくなる前のつかの間の輝きといえようか。

ちなみにもとの Non ti scordar di me をパバロッティのテノールでも聴ける。彼と比較するのは楠木繁夫にちょっと気の毒ではあるが。原曲のいかにもイタリア歌曲らしい突き抜けた南国の青空のイメージに対して、「花白蘭の歌」は、満州という北の「異国」の空のもとに咲く「白蘭の花」のイメージを感じさせる。白井による日本語の詞も、いささか古風ではあるが、曲によく調和している。