空の歌−チベットのために祈る

サンスクリット語の般若心経が音楽化されてアップされていた。我々が親しんでいるお経とはちがって実に新鮮な印象を受けた。私はただちに、小笠原秀実の書いた詩を思い出した。

    空の心           

形あるものは すべてこわれていく 花のように 人のように 楼閣のように
されど形なきものは 虚空のように 大空のように いつまでもこわれることを 知らない
形ある すべてを棄てた心 変わりゆく すべてを離れた心 それが 空の心である 
碧の大空のように 空の心は限りもなく 涯もなく 増えることもなく 減ることもない
こわれゆくこの世のすべてを離れるがゆえに 生きることにも迷わず つまづくことにも惑わず 唯すべての畏れを離れる
若葉にしたたる 日の滴がすべてを包み すべてを はぐくむように 空の心は 何ものをも許し 何ものをも育ててゆく 
それは限りなき楽しみであり 無我の明さである 朗らかな 空の心よ 暖かく 滴(した)たる空の色よ 

   あさみどり     

捨てるもののない身になつて たった一つを拾ふとき 野茨の花であっても 静けさの命のひびき 
捨てるもののない身になつて 残る一つを捨てるとき あさみどり 我が大空にはてはなし


私は心から中国の民に訴えたい。あなたたちの父祖の精神的な文化の基礎にあった仏教を思い起こしてほしい。あなたたちが今していることは、かつて日本が満州にしたことと同じなのだ。文化の伝統も言語も違うチベット民族を君たち漢民族が支配する権利が何處にあるというのか。君たちの政府は、もともと独立していたチベットに侵略してそこを植民地とし、傀儡政府をたてて、漢民族を多数植民させ、鉄道を敷設して経済的な投資をしている。それは、決してチベット民族のためではなく、漢民族の物質的利益のためなのだ。その代償として、チベット人の信教の自由を君たちは奪っている。

どうか「中国」という「有」の幻想に捕らわれないでほしい。そんなものは本質的に儚いものだ。日本やアメリカを抜くようなGNPをめざし、いかに経済大国になったとしても、いつの日か公害で君たちの国は滅んでしまうだろう。

オリンピックの聖火リレーなど、もともとヒトラーが始めた国威発揚の宣伝なのだから、そんなものが如何にむなしいか、思い起こすことだ。

李香蘭とその時代」というブログとこの記事は直接関係はないと思われるかもしれない。しかし、山口淑子は中国の「民」に日本の侵略を謝罪したことを思い出してほしい。それは君たちの政府に阿ったわけではない。中日戦争で犠牲となった中国の民衆のこころを知るが故に謝罪したのだ。中国の皆さん、あなたがたも想像力を働かせて、君たちがチベットという君たちにとっての「他者」、異なる言語と宗教と文化を持つ「民」をいかに傷つけているか、考えてほしい。