重信房子のインタビュ--イデオロギーを越えた個人の生き様

重信房子独占インタビューの時の映像の一部がYoutube にアップされている。
1973年だからもう35年も前。当時は連合赤軍のハイジャック事件、浅間山荘事件が紙面を賑わしていた頃だ。この二つの事件はよく覚えているが、僕はこのころは昼間テレビを見るような暇はなかったせいか、「三時のあなた」という番組そのものを見たという記憶がない。従ってこのインタビューも初見だった。このインタビューに成功したことで、山口淑子は、「73年度テレビ大賞優秀個人賞」を受賞している。

このインタビューと彼女が出版した「誰も書かなかったアラブ」は、パレスチナゲリラへの共感的な記述および日本赤軍の政治宣伝に荷担したのではないかということで、のちに、参議院の法務委員会で当時の共産党参議院議員から問題とされた。http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/084/1080/08406011080013a.html
ここで、共産党の議員が日本赤軍を取り締まれと公安に要求するというのも、まことに奇々怪々な話であるが、共産党からすれば、「テロリストをわざと泳がせて反共宣伝に使っている」という論理なのであろう。次のような議事録が残っている。

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○説明員(水町治君):私ども現時点において重信房子がどこにいるかということにつきまして確たる情報は持ち合わしていないわけでございます。
○橋本敦君:現時点でといいますけれども、山口淑子さんが、これがお会いになったのはそんなに遠い昔じゃありませんよ。そして彼らの日本赤軍の拠点が大体推定するところアラブ地域にあるということも、これも人の知るところですよ。そしてこの山口淑子さんは、この問題の重信房子と単独会見をやったということを、これは一九七四年六月十二日付の自民党の機関紙「自由新報」、ここで堂々と公にされている問題ですよ。この中で山口淑子さんを紹介した記事として、「李香蘭の名で芸能界へデビュー、現在は、テレビ司会者、海外ルポライターとして活躍。国際感覚にモノをいわせて、元赤軍派の女闘士・重信房子との単独会見をスクープして話題となる。」、公にされているのですよ。この本も公にされているのです。この時点で聞きましたか、この時点で。いまはいいですよ。
○説明員(水町治君):この日本赤軍関係の犯罪捜査の担当は公安第三課長ございまして、担当ではございませんので、詳細は存じていないわけでございます。
○橋本敦君:徹底的に日本の政府が、法務大臣が御就任になっておっしゃったように、このような日本赤軍の動向を断固許さないということに本当に真剣にやっているなら私は聞いていなきゃならぬと思う。会っている場所もダマスカス、はっきりしているのです。そして、この山口淑子自身は、彼女が出てきたときに十年来の知己のような気がしたという書き出しがら始まって、具体的なインタビューをやっているのです。しかも私は、問題なのは、この山口さんがどういうお考えかこれは別として、大臣がにくむべき許さざるハイジャッカー、こう言った凶悪な犯罪に対して、むしろほ「ほほえみながら、死について語る」、重信房子をいかにも賛美するような言葉をもって称揚されているような、そういう文章になっておる。私はこういったことが政府が今日まで過激派を泳がしてきたという、そういうことだと指摘せざるを得ないのですが、この重信房子に対して自宅の家宅捜索まで行って、捜査の結果によって、いま進行中だとおっしゃいましたが、実行犯と同じように共謀関係の事実が立証できれば、厳格な立証でなくても逮捕状がとれる状況の証拠があれば当然逮捕状がとれる、また請求するという状況に至ると私は思いますが、いかがですか。

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これを読んで、僕はこの議員の頭の頑なさというか、人間を見ないで政党の論理、自己正当化の論理だけを追求する姿勢に苦笑せざるを得なかった。要するに、日本共産党日本赤軍とは違ってリンチ殺人やハイジャックなどとは無縁の平和的政党だとでも言いたいのだろうか。
 カストロカダフィのような成功した革命家と、失敗した革命家がいる。成功すれば救国の英雄としてもてはやされるが、失敗すれば犯罪者の汚名を着る。何がその二つの道を分けるのであろうか。
 山口淑子は、「誰も語らなかったアラブ」のなかで次のように言っている。

「二つの立場を、私の敵と味方、あるいは私が正しいとした側と悪いと思った側に識別し、違いを決めさせるものは何だろう。それについても、いまは、こう思っている。『正しいか正しくないかを決めるのは、私たちみんなが生きている現在であり、同時に歴史が証明してくれるでしょう。だけど、私たちが生きている世界には、その二つの立場があまりにも単純に、勝ったものと負けたものに区別されている。勝ったものが正しく、負けたものが正しくない、ということがあまりにも多すぎる』と。−山口淑子が「怒り」を覚えるのは、その一点につきるのだ。

 山口淑子は、決してイデオロギーでは政治活動をしていない。そこにある人は彼女の限界を見るかもしれない。戦時中にともに仕事をした岩崎昶は、彼女が自民党参議院議員になったことに失望を隠さなかった。しかし、僕は、山口淑子(=大鷹淑子)のジャーナリストとしての活動、それに続く政治家への転身の記録を読んでみて、あらためて参議院議員を三期18年つとめた彼女を見直したのである。そこには単なるタレント議員として片づけることの出来ないものがあったといっておこう。18年間といえば、彼女が歌手・映画俳優として活動した期間とほぼ等しいのだから。