稲垣浩の回想−戦時中の李香蘭

日本映画の若き日々 (1983年) (中公文庫)に、映画監督の稲垣浩が、戦時中の李香蘭にふれた箇所がある。

それによると、稲垣は、日華合作映画「狼煙は上海に揚がる」のヒロインに李香蘭起用を考えて、その内諾を得るために面会したという。以下はその稲垣の文。
「彼女の美しく大きな目は、四十前の僕にはまぶしかった。北京語ナマリの日本語で、しかも大きな声の早口で日華合作映画の必要と重大さを堂々とまくしたてられて、乗せようとしたしたこちらが乗せられた形だった。
「わたくしでお役に立つことなら、なんでもいたします。中国のためにレールとなって働けたら、こんな喜びはございません」
と言った言葉が、とても印象的だった。そのころの日本の女優さんたちの中に、これだけスラスラと立派な口のきける人はいなかったから、この人が出演してくれれば今度の仕事は成功するだろうと、僕は心の中でそう思った。ところが、いよいよ実行に移ることになって、李香蘭の出演は不可能となった。中華電影公司としては、日華合作映画に満映の女優が主演しては意味がないという意見が出たからである。・・・というわけで李香蘭との出演はまぼろしに終わったと僕はおもっていたのだが、敗戦を迎え、僕は大映を去ってフリーとして東宝で仕事をすることとなって、山口淑子に変身した李(リー)さんにめぐりあった。それが井上靖氏の「戦国無頼」である。彼女が時代劇に出演するとは思いもよらなかった。この仕事が終わるとすぐ、あの李香蘭時代の彼女で一本仕事をしたい気持ちが沸き立った。そこで『上海の女』という作品を作って、彼女の美しい北京語だの、持ち前の数々を唄わせてみたく思った。・・僕としては、まぼろしに終わるはずだった李香蘭との仕事は、やはり李香蘭としての夢が描きたかったのだった。」

満映女優」であるからという理由で日華合作映画の李香蘭の出演が消えたということは、当時はまだ中華電影と満映との対立が残っていたのだろう。従って、これは、おそらく、アヘン戦争をテーマとする「萬世流芳」に李香蘭が出演する前のエピソードと思われる。
稲垣氏にとっては、李香蘭はやはりリー・シャン・ランであって、戦後は、山口淑子に「変身」したのだと言っているところが面白い。日本の現代劇や時代劇などにでている彼女では満足できずに、「李香蘭リサイタル」になってもかまわないから、戦後の日本にもういちど「李香蘭としての夢」を描きたかったのだと言うのである。
「上海の女」のヒロインは汪兆銘政権の重鎮の養女となった日本娘である。中国語と日本語を自在に話す彼女は、上海のナイトクラブの人気歌手でもあり、孤児院の中国の子供たちの面倒を見ている献身的な女性でもある。日本の敗戦直前の上海での政治抗争に巻き込まれて、最後に特務機関によって銃殺されるヒロインの姿は、まさに上海時代の伝説的な「李香蘭」のイメージを映像の中に残したとも言えよう。

稲垣氏の回想で面白いのは、戦時中のこの時期において、李香蘭こと山口淑子は、實に積極的に発言し行動的な女性であったことが伺える点である。当時の彼女は、「中国のためにレールになって働く」ことを自分の使命と考えていたらしい。実際、東宝の大陸三部作のラブロマンスのような現實離れした映画にあきたらなくなっていた彼女は、満映の中国人監督の制作する「黄河」という映画に出演することを自ら志願している。

黄河」は、蒋介石軍の黄河の堤防爆破によって、大水害が生じ、黄河流域の農民が大被害を受け、被災者千二百万人、死者九十万人という悲惨な事件を引き起こしたという史実をもとにしている。徹底抗戦の立場をとった蒋介石軍がいかに中国民衆を苦しめたかということは、対日和平派を「漢奸」とみなして断罪する歴史家の視点からは無視されている。逆に言えば、この事實を取り上げて映画化するということは、当然、日本の側からのプロパガンダということになろう。しかし、プロパガンダ映画ではあっても、それは現地の人々の心を知らぬ日本人が制作した映画ではなく、中国人の監督のつくる中国の民衆を主人公とする映画であり、水害とたたかう農民の視点から制作されたものであった。ここでは、李香蘭はもはや日本語を話し、日本の青年を恋する中国娘などではなく、純然たる中国の農民の娘の役で出演する。日本人監督の作る映画ではなく、中国人の監督の作る映画で、中国人から見て不自然でない中国娘の役で出たいという願いが彼女にあったのだろう。ロケの現場は戦闘が続いており、慰問中の日本軍にも次々と死者が出たという。彼女にとっても、それは文字通り命がけの映画出演であったろう。