ミュージカル「李香蘭」を観て−「啓蒙」の陥穽

ミュージカル「李香蘭」を観劇に行くと、「語り継ぐ日本の歴史」という浅利慶太氏のパンフレットが渡されるが、そのなかにつぎのような一文がある。

「いつか日本は、この戦争の「開戦」と「敗戦」の責任を情緒論には流されず、<自らの手で>しっかりと裁き、歴史に刻印しなければならない。」
「三作(「李香蘭」「異国の丘」「南十字星」の「昭和歴史三部作」)を創るに当たって念頭に置いたのは、終結から60年を経た今、戦争の深い傷が、日本の社会から忘れ去れようとしていることである。特戦後生まれの若い世代には最も重要な「日本の歴史」のこの部分を知らないものが多い。戦争を、左側は「侵略」として東京裁判史観に基づ、すべてを悪と片づける。右側は「止むに止まれぬ歴史のながれ」と発想する。しかし問題は、愚かさと狂気に捉えられたその「歴史の実相」である。多くの人は「戦争」を遠い過去のものと考えている。本当にそうなのか。あの悲劇を語り継ぐ責任が我々にはあると思う。戦争で死んでいった圧倒的な数の兵たち、戦後無辜の罪に問われて死を迎えざるを得なかった軍人たち、一発の原子爆弾、一夜の無差別空襲で命を奪われた数え切れぬ市民たちは、みな我々の兄姉、父母の世代である。今日我々を包みこむ「平和」は、あの人たちの悲しみの果てにもたらされた。哀悼と挽歌は、我々の手で奏でなければならない。」

このパンフレットの背景には次のような考え方があると思う。−−日本の始めた戦争の歴史を、戦争勝利者によって外部から強制された東京裁判史観によってではなく、<自らの手で>しっかりと裁き、歴史に刻印することは必要である。それをしなければ、日本という国家の自己同一性は失われたままであろう。「国家の品格」という本がベストセラーになったことからも分かるように、現在の日本人が、日本の「品格」が失われていることを嘆いているのは確かである。そして品格の喪失が、日本人が日本人として昭和の歴史に真正面から立ち向かっていないこと、その戦争の開始と敗戦の歴史をきちんと自らの手で総括していないことが原因であることはいうまでもない。戦後いかに経済的に復興し、みせかけの平和を享受していても、日本精神の根幹の部分は空洞である。中国の旅行者は、この国の政府が各地に、日本軍との闘いで殉難した同胞を追悼する記念施設を設置し、そこを「愛国基地」としていることを知っているだろう。これに対して、戦後の日本人は、基本的には、経済繁栄の代償として、日本人の日本人としての自己同一性の喪失という事態を招いた。戦争犯罪への謝罪が十分でないという中国や韓国からの告発を前にして、まともに応答もできず、暗い過去に頬被りしたままそれを忘却の淵に追いやっている。しかし、戦争において単純に善悪を語ることはできない。日本を裁いた側の戦争犯罪は不問に付されたからである。日本人のこの失われた自己同一性を回復するために、自らの過去を振り返って、戦争において犠牲となった同胞に対して、<我々の手で>哀悼と挽歌を捧げようではないか−−

「昭和の歴史三部作」の背景にある思想を私なりに要約してみた。ミュージカル「李香蘭」は、その第一作として位置づけられているのである。このような制作意図、また後世に戦争とはいかなるものであったかを伝える「語り部」たらんとする意図は理解できる。しかし、その語り部が、いかなる視座から、如何に語るかが最も大切である。ミュージカル「李香蘭」は、その点から観て果たしてどこまで成功したであろうか。

3時間にみたぬ上演時間を考慮すると、複雑な歴史をイメージと音楽で物語る部分はどうみても「音楽紙芝居」といった趣となる。歴史をある程度知っているものは冗漫に感じるし、知らないものにはなんだか歴史の勉強をさせられているようで退屈であろう。また、ミュージカルが作品として成功するためには上演後、記憶に残る歌詞やメロディーがなければならないが、私の場合は、そういうものがなかった。これはひとつには李香蘭を演じた俳優が、演技はよかったけれども、声がかすれ音程もあやういというミュージカルのキャスティングとしては致命的な部分があったことにもよる。私はこの女優には「鹿鳴館」の主役を演じたときに観て非常に良い印象を持っていただけに、悲惨な歌唱の現實に接して、本人のためにも気の毒に思った。

このミュージカルでは、歴史的人物としての「李香蘭」は、實は主役ではない。劇の中で強い印象を与えるのは狂言回しの「川島芳子」であり、漢奸裁判の席にいて死刑を求める「民衆」であり、李香蘭のために危険を承知で彼女が日本人であることを証言した友人の愛蘭の唄う中国語の愛国歌であり、「以徳報怨」の「東洋道徳」をもって李香蘭に赦しをあたえる裁判長である。李香蘭本人の影は薄く、歴史に翻弄された無知なる歌姫という役割にとどまっている。
歴史上実在した劇中人物の扱いに違和感を覚える聴衆もいるだろう。歌唱力では、裁判長の歌が力強く印象に残ったが、私などは、「以徳報怨」に蒋介石のイメージが重なって、どうにも感情移入ができなかった。これは單に勝者の余裕を示すだけの寛容であり、その影では、汪兆銘はじめ対日和平派であったかつての仲間たちを容赦なく「漢奸」として死刑にし、その墓地までも爆破した強烈な「怨恨」の歴史的現實を知っているからである。

このミュージカルの観客は基本的に戦後生まれ、それも30才前の若い世代が目立っている。いわゆる団塊の世代の子供たちの世代も多く来ているのではないだろうか。戦後63年ということはそういうことである。また、切符の売れ行きも良くほぼ満席であった。だから戦争経験を次世代に語り継ぐという浅利氏の意図はある程度は達成されただろう。実際、ミュージカル「李香蘭」を観て、李香蘭や彼女の属していた満映、またこのミュージカルでは主役級の位置づけを持っている「川島芳子」に関心を持ち、大学の文学部の卒論に取り上げた女子学生もかなりいたという話を聞いている。

しかしながら、ミュージカルそのものの出来映えは芸術作品として感銘を与えるとは言い難い。戦争体験のない世代に戦争とは何かを語り伝えようと言う浅利氏のような啓蒙的な意図は、散文によるノンフィクションの歴史物ならばともかく、ミュージカルのような藝術作品の創作という面からするとマイナスに作用するからである。このミュージカルは、日中国交回復20周年を記念するという日本と中国のそれぞれの「国策」に沿うものとして上演されたという歴史的制約がある。そして「国策」は常に「啓蒙」という活動を伴うのである。

かつての「大陸三部作」にしたところで、当時のイデオロギーに便乗した「啓蒙」映画である。それは誤って理解されているような戦争推進の映画ではなく、實は平和建設を主題とする映画だったのであり、日本人の「真意」が侵略ではなく、中国民衆のための平和建設ー道路建設や医療活動ーであることを宣伝する国策映画だったのである。満州、上海、華北という舞台の移動はそのまま、次々と拡大する日本の占領地での「建設的な平和活動」をアピールする映画であった。戦前の国策映画と「昭和の歴史三部作」の視座とはもちろん異なるが、ナショナリズムというものは常に「想像された共同体」の生み出す神話である。そして演劇によるかかる「啓蒙」には、常に「新しい神話」の制作に終わるという陥穽がある。