上海ファンタジー−クラシック・ジャズ・民謡の交響曲

「蘇州夜曲」で開眼した服部良一が「夜来香幻想曲」を作曲したのは38歳の時である。西欧流に言えば人生のアクメ(絶頂期)である。ジャズなどは敵性音楽として禁止されていた戦時中に上海で活動できたことは彼にとっては幸いした。先日、この夜来香幻想曲をアップしたが、今聴いても全く古さを感じさせない。クラシック・ジャズ・民謡の三つのジャンルを巧みに統合したこの曲は、それぞれのジャンルのファンを魅了するだろう。
 服部はジャズとともにクラシックの作曲理論を学んでおり、中国の当時のニューミュージシャンたちは、服部からクラシックの作曲法を非常に知りたがっていたという。ジャズや流行歌だけであったならば、つかの間の時代の輝きで終わってしまうであろうが、服部の作品にはそれを越えるものがある。
他方、いわゆるクラシックだけならば、それは同時代に息づいている音楽の創造性を生かすことが出来ない。中国人や日本人が西欧のクラシック音楽を演奏することは出来ても、モーツアルトシューベルトが生きていた時代の音楽の現場のもつ活気−それはジャズや流行歌の持つ活気と同じ同時代性である−を蘇らせることは出来ないのである。また民謡も、そのままの古い形では地域と時代を越える普遍性を持ち得ないのである。
 そうしてみると、クラシックとジャズと民謡を統合するというのは、古典性・現代性・地域性という三つを一つにするという課題である。この課題は、服部が同時代の上海で活動していた中国人の音楽家たちと共有していたものであった。 
 戦後、服部が上海で実験して成功したブギウギのリズムは日本でも大流行し、1950年代の服部良一はヒットメーカーになったことは周知の通りである。しかし、クラシックとジャズと民謡の三位一体を実現するという野心的な試みは、十分には継承されなかったとおもうが如何であろうか。
古賀政男李香蘭のために作った「紅い睡蓮」のような曲は、当時は大ヒットしたけれども、今聴くと、その歌詞といいメロディーといい、いかにも懐かしのメロディーという気がするし、おそらく日本以外の国で時代を超えて愛好される可能性は薄いだろう。これに比べると、服部良一が彼女のために作曲した「蘇州夜曲」「私の鶯」「夜来香幻想曲」などは、戦時中という背景などなくとも、いやそういうものなど全く越えたところで享受できる普遍性を持った名曲である。