黎錦光と夜来香

「上海ブギウギー1945−服部良一の冒険」という本が「音楽の友社」からでている。
上海ブギウギ1945―服部良一の冒険
 著者の上田賢一氏は1949年生まれということだから、完全な戦後世代であるが、当時のことを良く取材して書いている。主役は服部良一であり、とくに「夜来香幻想曲」のコンサートの話が面白いが、そのほかにも、服部良一と当時の上海の音楽家たちとの交友がよく描かれている。とくに、黎錦光についていろいろなことを教えられた。日本のレコード会社は、1979年に黎錦光から手紙を貰ったとき、「夜来香」の原作者が彼だということがすぐに分からなかったらしい。黎錦光は金玉谷というペンネームで「夜来香」を作曲したからである。もし黎錦光が中華人民共和国成立後に香港に移住していたら、東アジア全域で大ヒットした「夜来香」の著作権料だけでも楽な暮らしができたであろうが、彼は革命後の上海に残ることを決断したのである。黎錦光が学生時代に未だ無名であった毛沢東が教師であったなどということも初めて聞いた。黎錦光は、しかしながら、その毛沢東が晩年に主導した文化大革命で迫害され辛苦をかさねたのである。そして日中国交回復後、1981年に山口淑子はじめかつての上海での日本の音楽仲間と再会する場面は實に感動的である。

 その「夜来香」であるが、これは歌詞も曲も彼の作品であり、服部良一の「蘇州夜曲」とおなじく李香蘭のために作曲したものである。1944年ころ上海で録音されたレコードについては前に書いた。

     夜来香 

作詞・作曲 金玉谷(黎錦光)

那南風吹来清凉 那夜鴬啼声凄愴 月下的花児都入夢 只有那夜来香 吐露著芬芳 
我愛這夜色茫茫 也愛這夜鴬歌唱 更愛那花一般的夢 擁抱着夜来香 吻着夜来香
夜来香 我為你歌唱 
夜来香 我為你思量 
阿阿阿 我為你歌唱 我為你思量


「擁抱着夜来香 吻着夜来香」などは西条八十の「蘇州夜曲」の歌詞を思わせる。当時としては、大胆な表現であるから、左右を問わず、頭の固い政府のお偉方から攻撃される一因となったかもしれない。この歌、歌詞だけを見ると、夜来香に恋人の面影を見る男性の心を詠んだものともとれるが、仮にそうであっても、やはり李香蘭のような女性歌手が、ソプラノで唄う方が魅力的であることは言うまでもない。