「李香蘭」のカムバックー香港と中国

沢口靖子主演のテレビ・ドラマ「李香蘭」には、玉置浩二の主題歌「行かないで」が付けられていたが、このテレビ映画が香港で上映されたときに、主題歌を中国語で文字通り「李香蘭」として、ジャキー・チェンこと張学友が唄い、香港のみならず東南アジアの中国語圏で大ヒットした。この歌を唄っているのは若い世代であり、李香蘭が誰であるかを知らない人も多いだろう。彼女の名前は、張学友の「李香蘭」を通して、再び、若い世代の前に「カムバック」したのである。李香蘭の「カムバック」という場合、香港の場合、中華民国(台湾)の場合、中華人民共和国の場合を、そして日本の場合をそれぞれ区別して論じたほうがよいだろう。
 最初に「李香蘭」が復活したのは香港の映画界・音楽界。これは、もともと上海で李香蘭とともに仕事をした仲間たちが、国民党も共産党も嫌って香港に亡命していたのだから政治的イデオロギーぬきで、戦後の日本の映画界に復帰した山口淑子を、「李香蘭」の名前で中国語圏に再登場させた。当然、日本人だということは承知していたわけだが、かつての李香蘭ファンであったノンポリの中国人はまだ大勢いたわけだし、流麗な北京語を話し、ミュージカルができる女優を、上海のかつての文化に愛着を持っていた映画作家や作詞家・作曲家が放っては置かなかったということだろう。李香蘭が香港で吹き込んだレコードは現在でも東南アジアの中国語圏で販売されているし、彼女はそこでは事実上、中国人の歌手としていまでも扱われている。
 中国本土での「李香蘭」の再登場は、香港と比べると、政治的な背景を抜きに考えることは出来ない。それは、日中国交回復20周年記念に上演されたミュージカル「李香蘭」と、「李香蘭 私の半生」の数種類の中国語訳の出版によるものである。それまで、中国本土では、長きにわたって、「夜来香」のような全く政治色のない名曲ですら「売国奴の唄った歌」として公の席で唄うことは禁止されていたということに注意する必要がある。そもそも李香蘭という名前ですら、川島芳子とともにタブーであったといってよかろう。1945年の上海で、李香蘭のコンサートに詰めかけ喝采した中国人が多数になればなるほど、国民党であれ、共産党であれ、李香蘭の背後に日本軍を見ていた中国人にとっては許し難い「漢奸」ということになるだろう。たとえその歌が恋の歌であれ、別れの歌であれ、中国人のこころを「文化漢奸」が掴むということ自体が彼らには許し難かったように見える。
 政治的理由から李香蘭の唄った歌およびその存在自体をタブーにしたということは歴史の遠い記憶の深層へと追いやられ、現在の中国人がそういうことを意識することはまれになったとはいえ、そういう深層の記憶は、ときとして忘却の彼方から蘇ることもある。かつてはテレサテンの歌が「禁歌」にされたし、最近では、張愛玲の短編を素材とした「色・戒」という映画に主演した女優の出演するコマーシャルが中国本土で放映禁止になったという事件などはその一例であろう。 
 ミュージカル「李香蘭」は中国の各都市で上演され当地の民衆の喝采を受けた。しかし、すべての中国人がこのミュージカルを歓迎したわけではない。中国の作家であり、かつて文化相をつとめたこともある王蒙は、ミュージカル「李香蘭」を見て、そのコメントを書いている。 (エコノミスト 1992年11月17日に掲載された王蒙の論説、「人・歴史・李香蘭李香蘭は<歴史の犠牲者>か」 訳・解説 金子秀敏
 それによると、王蒙は、ミュージカル「李香蘭」を観劇して、李香蘭を悲劇の主人公とするテーマに 違和感を覚えたとはっきりと言っている。少年時代に「萬世流芳」を見たし、またその主題歌、 売糖歌をならった記憶がある世代の人である。彼は、李香蘭を死刑にせよと主張した中国人の心理を適切に指摘している。つまり、日本軍に協力した有名女優が銃殺されるということ自体が、一般大衆にとっては実に溜飲の下がる光景なのであったというのだ。こういう心理は理解の出来るものである。李香蘭が最後にコンサートを行った上海の競馬場で銃殺されることが決まったことを伝えた新聞報道の背後には、マリーアントワネットが断頭台にかけられることを望んだフランス人の群衆心理と同じようなものが働いていただろう。  
 王蒙は、当然、漢奸として銃殺されるべきであった「李香蘭」のイメージを描いた後で、次のように言う。
「抗日斗争は、私達の感覚では愛国者と漢奸の戦いであることに異論がない。 左、中、右、国、共、すべてみな意見は一致している。 山口淑子は無罪釈放してもいい。大鷹淑子も賓客として待遇しよう。 李香蘭は、絶対に埋葬しなくてはならない。侵略者、強盗、満州、“支那の夜”、“白蘭の歌”-------これ以上言うことがあろうか?」
 王蒙は山口淑子李香蘭を区別して、「李香蘭は絶対に埋葬しなくてならない」と言う。要するに山口淑子への個人的批判ではないということを断った上で、「李香蘭」は徹底的に断罪すべきだという趣旨の論文である。こういう態度は、「色・戒」のヒロインを演じた女優の個人攻撃はしないが、その映画のイメージを利用したCMの放映は許さないという現在の中国政府の検閲方針を想起させるものであった。

私は王蒙とはちがって、汪兆銘や周仏海というような対日和平派だった政治家たちを極悪人呼ばわりするつもりは毛頭ない。政治闘争の歴史の敗者を、勝者の尻馬に乗って道徳的に断罪したところで意味はないからである。歴史は複眼的思考を要求する。私から見れば、「夜来香」や「何日君再来」のような名曲を禁止歌にしてきた中国共産党全体主義的思考のほうが批判されるべきである。優れた藝術作品を抑圧するような政治家こそが文化の立場から見れば「文化漢奸」ではないだろうか。「夜来香」を国民党や共産党がいかに禁歌にしようと、これらの歌は中国の民衆の間でひそかに歌い継がれてきたのである。

ところで王蒙は、「李香蘭 私の半生」(<<李香蘭の謎>>というタイトルで中国語訳された)という著作については、ミュージカルの評価とは別に非常に好意的な書評を書いている。彼の論説の結びはなかなか良い文章なので、それを引用しよう。

「歴史の事実は一つだけである。 人によってそれぞれ見方が違う。だから少なくとも同じ歴史というものはない。そのため種類の違う歴史の本が沢山ある。 一人の人間についても何種類かの歴史書がある。  山口淑子、潘淑華《中学時代の彼女》、李香蘭大鷹淑子、その消すことの出来ない歴史の体験は違うのだ。 何種類かの版本の歴史を読むことは、一つの版本を読むより人、生活、歴史についてより詳しく知ることが出来る。日中関係のその回想についても、それが“不幸”だとか“不愉快”だからといって、まったく無視してしまうことはできない。 歴史を正視することは、現実を正視するように、勇気と見識が必要だ。《李香蘭の謎》は、そんじょそこらの映画スター・歌手のただの“秘話”では決してない。 」

私は王蒙の芸術観には同意できないが、彼の上のような歴史観には同意するものである。