蘇州夜曲について

蘇州夜曲は映画「支那の夜」の主題歌である。この曲についてはすでに多くのことが語られてきた。「夜来香」と同じく、今聞いても少しも古くなっていない名曲であることに間違いはない。服部良一の代表作でもあり、作曲者自身ももっとも気に入った曲であったといわれている。この曲は、レコード会社の契約上の問題があって、渡辺はま子がレコードに吹き込んだが、山口淑子も戦後はレコードに吹き込み、CDにもなっている。しかし、絶唱という名に値するのは、映画の中で桂蘭(李香蘭)が長谷(長谷川一夫)と新婚旅行をかねて蘇州に遊んだときに李香蘭自身が唄うシーンであろう。そこでは、レコードとは違って実にゆったりとしたテンポで連綿とした恋情を感じさせる。映画では李香蘭はこの幸福なるシーンでは1番と3番を続けて歌っている。歌詞の3番に合わせて、長谷が桃の花を手折るシーンがあるが、映画では伏線として、上海の旧家の娘であった桂蘭が、戦争で廃墟となったかつての自宅の前で父母の名前を呼びながら、わずかに残った桃の花を手折りつつ幸福だった昔をしのぶ場面を入れている。つまり、「桃の花」は桂蘭の失われた幸福のシンボルとして使われている。その桃の花を今度は日本男児の長谷が桂蘭に捧げることで、戦災の不幸を乗り越えて二人が結ばれるというのが演出の意図であろう。

ところで、映画ではこの蘇州夜曲の2番の歌詞は、長谷川一夫演じる主人公が匪賊の襲撃にあって落命したという知らせを聞いて、桂蘭が悲嘆にくれ、思い出の地の蘇州を再訪して、入水自殺を遂げようとする、まさにその直前で歌われる。

映画では、伏線として、新婚旅行のときに、長谷(長谷川一夫)が桂蘭(李香蘭)に、蘇州の川縁で、日本の詩を教えるシーンを設定している。その詩は、佐藤春夫の「水辺月夜の歌」の一節である。

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    水辺月夜の歌 佐藤春夫

(せつなき恋をするゆゑに 月かげさむく身にぞ沁む。)
もののあはれを知るゆゑに 水のひかりぞなげかるる。 身をうたかたとおもふとも うたかたならじわが思ひ。
(げにいやしかるわれながら うれひは清し、君ゆゑに。)
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映画では、桂蘭が入水自殺を試みる前に、上の詩を口ずさむという設定にしている。この詩は西条八十の蘇州夜曲の歌詞の二番

    花を浮かべて流れる水の 明日の行方はしらねども 水に映した二人の姿 消えてくれるないつまでも

と呼応していることが分かるだろう。映画では桂蘭は、自分の悲痛なる心情を神に中国語で

   「老天爺、你怎麼不保祐我呢?怎麼給我這麼受苦呢?」 (天にまします神様、あなたはどうして私を守ってくださらないの? どうしてこんな苦しみをお与えになるの?)

と訴えたあとで入水自殺をしようとするのである。欧米の映画だと、「神様!」は「Heaveanly Father=天のお父様!」というのだが、中国語版だと、「老天爺=天のお爺さま!」になる。 家族の長幼の序を大切にする中国では、どうも親父より爺さんのほうが格が上らしい。こういうところ、なんとなくイタリヤオペラ「トスカ」の「歌に生き、恋に生き」というヒロインの絶唱と、その最後の祈り 「どうして神様、私にこんな報いかたをなさるのです? Perchè, Signor, ah, Perchè me ne rimuneri così?」 を思い出した。イタリアオペラのヒロインであるトスカはマリアカラスの当たり役であったが、李香蘭と同じく彼女も伝説の歌姫と呼ばれている。

さて、ここで桂蘭の死をもって物語が終わるならば、悲劇となるが、映画のほうは、負傷した長谷川一夫を最後に登場させて桂蘭と再会させ、二人が蘇州の橋の上で抱き合うというハッピーエンドにして終わらせている。つまり悲劇ではなく音楽メロドラマ、そして匪賊と長谷ら日本人船員たちとの大立ち回りという活劇も入っている。
支那の夜」をただの国策映画として見るだけでは、なぜ戦前の日本人たちが、これらの映画に感動したかを理解できないだろう。 東宝満映が合作した大陸三部作は、当時の日本で「期待されていた人間像」を理想的に描いている。それはプロジェクトX のNHK番組のヒーローのように、理想に燃える献身的なヒーローをかっこよく描くという特徴がある。
しかしながら、こういう映画は概しておもしろくない。 それがおもしろくなるのは、なにか政治的な枠組みをはみ出した要因によるものだ。 李香蘭の出演した映画の場合に、そういう政治倫理の枠を超えた魅力があったのは間違いない。 あえて言えば、大陸のエキゾチックな容貌をもち中国語を流暢に語るヒロインが、日本語を話す瞬間に大陸娘から日本娘に変身し、日本の美学的な感性に合致する仕草をみせ、しとやかな美しい日本語を語る。さらには、日本人女性以上に日本的な心情の美学に従ってひたむきな恋の赴くまま自己犠牲をもいとわぬ一途な恋をする。

   「さねさし相武の小野に燃ゆる火の火中に立ちて問ひし君はも」

これは弟橘姫が、ヤマトタケルのために入水自殺するときに詠んだ歌だが日本の神話的なヒロインの原型でもある。
「白蘭の歌」のヒロインは一途な愛故に、政治的には裏切り者となりながらも、ヒーローと心中することを選ぶし、「支那の夜」の桂蘭は、水辺月夜の詩を口ずさんで入水する。ヒーローへの一途な愛のために自己を犠牲にする日本神話のヒロインが原型 となっていたことは間違いない。そしてまさしくこれが日本の神話のヒロインであるがゆえに、日本では喝采されたこれらの映画は大陸では全く理解されず、反発を買ったのも当然である。日本人とは違って、美的判断よりも倫理的・政治的判断を重んじ、 「義」を第一に見る儒教倫理の伝統からすれば、桂蘭(そしてそれを演じた李香蘭)は売国奴であり、許し難き「漢奸」なのである。 
 もっともこういう国策映画をはみ出した部分は、軍国主義一色の当時の日本においてさえ、決して無条件で歓迎されたわけではない。日劇七回り半事件の時に李香蘭を見るために集まった10万人の群衆を非難した当時の新聞の論調は、国民としての義務を怠り支那娘にうつつを抜かし、「佳節を汚した」「不忠なる臣民」というものであった。 そもそも日本男子が、大和撫子をさしおいて「支那娘」と結ばれるという結末は、国策映画では次第にさけられるようになる。つまり支那娘は、日本男児に恋しても、結婚はせずに悲恋に終わるという設定が主流になっていく。そういう意味では、日本と中国の架け橋を象徴する蘇州の水辺に架かる橋の上で、恋人が国の違いを超えて、抱き合い結ばれるというハッピーエンドは例外的なものであったといって良かろう。