李香蘭と林献堂  「扶桑解語花」に寄せて


李香蘭 (林獻堂先生記念集 巻2 遺著より)

曽聽蘇州夜曲歌 餘韻似訴舊山河 都門此夕人如海 獨對秋風感慨多

かつて蘇州夜曲の歌を聴いた 余韻は故郷の山河に訴えかけるかのよう 都会の中では今宵は人が海のように溢れているが 独り秋風に対し私は感ずるところが多い

率君軍院慰傷痍 将士聞歌欲忘疲 顧(目分)曲終微一笑 掌聲雷動下臺遅

君を引率して軍の病院で傷痍軍人を慰問した 兵隊達が歌を聞きたがり疲れを忘れる 振返見ると曲が終わり 君が微かに笑うと拍手喝采は雷のようで、ステージを下るのが遅れてしまう

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「扶桑解語花」というのは、日劇7廻り半事件の直前に台湾を訪問した李香蘭を指して、台湾の文人・政治家、林献堂が云った言葉。当時は、台湾でも李香蘭は大変な人気だったらしい。「言葉の解る花」というのは、その昔、楊貴妃をさして玄宗皇帝が云ったとされる。「扶桑」は日本。だから「日本の楊貴妃」のような「花のある」人という意味らしい。 林献堂記念集に収録された頌詩のなかにある言葉。

言葉を解する「花」は、若き日の歌姫、楊貴妃のごとく美しいが、それは客体としての「花」。言葉を解するがまだ飾り物であって、自らの言葉の語る花=主体にはなっていない、と言う意味もあると思う。
 無理もない。彼女に担わされた役割は、およそ二〇歳そこそこの少女には担うことの出来ない重荷であったはずだから。当時の彼女は、与えられた役割をこなすことで精一杯であったのだと思う。 山口淑子が、「解語花」を脱して、自らの人生を自ら決めるために再出発したのは、 戦後になってからである。
 山口淑子は、戦後にテレビのニュースキャスターとしても活躍したが、その仕事ではやはり、パレスチナでの取材が印象的だ。そういえば、イスラエルパレスチナとの関係は、戦前の日本と満州との関係に似たところがある。 今のユダヤ人にとって、イスラエル国家の領土を拡大することは民族の「生命線」なのだ。だから、集団自決したマサダの遺跡が、現在のイスラエル国軍の忠誠を証する聖地になっている。
 マサダの遺跡とは「靖国神社」の対応物なのだ。ユダヤ民族の悲劇は、かつてヨーロッパの列強に迫害されたものが、今度は植民者として迫害するものに転化したことではないか。そこには個人の力では動かし難い根源悪があるかのようだ。
 そのイスラエルによって迫害されたパレスチナの難民、パレスチナゲリラを山口さんは取材する。 彼女がインタビューした重信房子には、かつての川島芳子の面影を見たかもしれない。

林獻堂は戦後、病気治療のために来日して、そのまま台湾に帰ることなく客死した。 その晩年の手記も記念集に収録されている。

李香蘭の恋人」のブログ http://d.hatena.ne.jp/shiho-26/20071223/1198377170  にも、このことが引用されているが、そこには次のような間違った記述があったので訂正しておきたい。

>林献堂の詩を集めた「東遊吟草」には、かつて台湾で李香蘭を接待したときに、李香蘭のあでやかさをうたった詩がおさめられている。
>そこには、李香蘭について次のような註が入れられている。・・・
>「かつて北京生まれの中国人と偽って台湾を訪ね、行く先々で交通渋滞を引き起こすほど大勢のファンに囲まれた」・・・
>林献堂の胸の内には、かつて李香蘭を歓待した自分にも、ウソをつきつつ平気で歓待されていた李香蘭にも、
>怒りよりも嘆かわしい思いが満ちていたのではないだろうか。

 まず上の引用の中の事実誤認を指摘しよう。李香蘭を詠んだ漢詩は、「東遊吟草」ではなく、「軼詩」のなかに収められている。 そして、この漢詩には「註」などついていない。これは田村女史の本からの孫引きによる間違い。 1949年ころの手記である「東遊吟草」には、たしかに上のような註が付けられているが、これは遺稿の編集者が、読者のために付加したものだろう。(台湾の若い世代にはわからない事柄には、かなり詳しい註が幾つも付けられている)
 松竹の大船撮影所を林獻堂は訪問したときの日誌は確かにあるが、そこでは山口淑子も出演していた「初恋問答」の撮影が行われていた。このときの林獻堂の心中は、註ではなくて本文から汲みとるべきだろう。
この手記は、「世間都是幻 認幻以為真 争名與求利徒労日苦辛(世間はすべて幻のようなもの、しかし人は幻を真実と思いなしている どうして名利を求めて徒労し苦労することがあろうか)」 という文で始まり、「佛言色是空 妙諦實無倫(仏は、形有るものは空であるという。真実の悟りは、倫理道徳を越えたものだ)」 という文で結ばれている。  つまり、林獻堂は、世間はすべて幻だという感慨を述べているのであって、とくに誰かがウソをついたなどということを嘆かわしく思っているのではないのである。
 田村志津江の「李香蘭の恋人」は、同じ著者の台湾映画史に関する地味な著書と比べるとそのタイトルからして物欲しげであり、感心しなかった。ここで言う「李香蘭の恋人」とは、上海で国民党の特務機関によって暗殺された劉吶鴎のことである。沢口靖子主演のテレビドラマ「さようなら李香蘭」に、この劉吶鴎暗殺のシーンがでてくるので、記憶されているかたもあるかもしれない。劉吶鴎の妻子と母と一緒に撮影された李香蘭の写真が残っている。それは、墓参りのために李香蘭が台湾巡業の忙しいスケジュールを縫って劉吶鴎の実家を訪問したときに撮影されたものである。「支那の夜」を撮影するときに非常に世話になった劉吶鴎の実家を弔問した李香蘭を、勝手に妻子ある人の恋人扱いするのはいかがなものであろうか。