核施設と非常事態−地震対策の検証を中心に−故高木仁三郎氏の論文(1995年)を読む

核施設と非常事態−地震対策の検証を中心に−という故高木仁三郎氏の論文を読んだ。阪神大震災を踏まえて防災対策の見直しが行われていた時期に、なぜか原発震災の可能性についての議論が殆ど為されていないことを憂えた高木氏が、1995年に日本物理学会誌に寄稿した論文である。 僅か四頁の長さであるが、今日の福島原発震災を予見する洞察力に満ちた論文であり、今回起きた「想定外」の事故のすべてを、16年前に十分に起こりうるものであるとして、その科学的根拠を述べて警鐘を鳴らした論文である。
 高木氏は、まず、原発の現行の耐震設計審査基準では「原発は本当に大地震に耐えられるかという疑問を強めざるを得ない」と警告する。
たとえば、阪神大震災の場合、大阪ガス(神戸中央区)で実測された地震の加速度は833ガルであったが、福島第一原発の一号機から六号機で想定している地震動は、設計用最強地震の加速度が176ガル、設計用限界地震(起こるとは考えられないが万が一のために想定する地震強度)が265ガルで、阪神大震災で実測された地震の強さの1/3以下にすぎない。つまり、つまり阪神大震災の時点で、想定の限界を三倍程越えた地震動が実測されたのである。
それでは、現在問題となっている浜岡原発はどうかといえば、一号機と二号機は、想定最強地震の強度が300ガル、限界地震強度は450ガル、三号機と四号機で、最強地震強度が450ガル、限界地震強度が600ガルである。ここにおいても、福島第一原発よりは耐震性が高いとは言え、阪神大震災程度の直下型地震が起きれば,想定された限界地震強度を超えていることは明らかである。
 次に、活断層の有無について高木氏は注意を喚起する。国がこれまで、活断層がないとして原発を設置した地域は、実は、地震学の未発達によって活断層がまだ知られていなかった地域と言う方が妥当なのである。たとえば敦賀原発の敷地内を通る浦底断層は、1994年に東京大学で出版された『新編 日本の活断層』によれば、確実度1の活断層である。
 当時の原発設計指針の場合、マグニチュード6.5の直下型地震を「万が一の場合に備えて」想定はしていた。しかし、この6.5という数値の科学的根拠は示されていない。阪神大震災の震度はマグニチュード7.2であった。
 更に、原発の老朽化と地震災害の問題に高木氏は議論を進める。運転歴による原発の事故・故障発生率の相関を示すグラフは、運転歴が23年を過ぎると、事故の発生率が急上昇することを示している。その事故には、福島第二原発の三号炉の再循環ポンプの大破損(1989年1月)や、美浜2号炉の蒸気発生器伝道管破断(1991年2月)のような大型の事故や、原子炉容器本体や炉心構造に関連した大型の損傷(たとえば福島第一原発二号炉の炉心シュラウドの大きな亀裂など)もみられる。老朽化の問題点は、第一に、小さな事故・故障が重なり合って大きな事故に発展する機会が大きくなること、第二に、定期検査で発見されないような部分の損傷や亀裂、劣化が生じることである。現行では、設計時の耐震テストは為されているが、老朽化した装置が地震に対してどれだけの耐性をもつかというテストは全く為されていない。そして、高木氏は、「共通要因故障」という疑念によって、今日の福島原発震災を予見した次の警告を発している。すなわち、「老朽化原発が大きな地震に襲われると、いわゆる共通要因故障(一つの要因で多くの危機が共倒れする事故)に発展し、冷却剤喪失事故などに発展していく可能性は十分ある」と指摘している。高木氏は、さらに、原発の非常時対策がなっていないことを指摘しているが、その箇所には、今回の原発震災を予見する部分が含まれているので、以下に、原文の儘引用する。

国や電力事業者は「原発地震では壊れない」ことを前提にしてしまっているために、そこから先に一歩も進まず、地震時の緊急対策を考えようとしない。たとえば、静岡県による東海大地震の被害想定に、浜岡原発が事故を起こすことは想定されていない。逆に、浜岡原発の防災対策では、地震で各種の動きや体制がとれなくなるようなことは一切前提されていない。ただでさえ、地震時の防災対策の、原発事故時の防災対策にも不備が指摘されているから、これらが重なったら対応は不可能になるだろう。仮に、原子炉容器や一次冷却剤の主配管を直撃するような破損が生じなくても、給水配管の破断と緊急炉心冷却系の破壊、非常用ディーゼル発電機の起動失敗と言った故障が重なれば、メルトダウンから大量の放射能放出にいたるだろう。・・・さらに原発サイトには使用済み核燃料も貯蔵され、また他の核施設も含め、日本では少数地点への集中立地が目立つ(福島県浜通り福井県若狭、新潟県柏崎、青森県六ヶ所村)が、このような集中立地点を大きな地震が直撃した場合など、どう対処したらよいのか、想像を絶するところがある。しかし、勿論、「想像を絶する」などと言ってはいられず、ここから先をこれから徹底して議論し、非常時対策を考えていくべきであろう。